« 第1回「イベント業界へ入ることになったきっかけ」 | メイン | 第3回「転機」 »
2005年12月01日
第2回「初めてのイベント制作」
今回の来店者
小林さん(サバイランド)×松下(コムブリッジ)
|
|
*********
小林:あの当時スキーツアーは、
夜、バスに乗っていったんだよね。
後楽園のけやき広場にバスが500台とかずらっと集まって
かなり媒体価値があったのね……。
<またまた資料登場>
松下:これが、またまた取ってあるんだよね~。
小林:これは、その後楽園でスキー客が出発する前。
CB:すげぇ人。これみんなこれからスキーに行く人ですよね?
小林:そう、これは食品会社がスポンサーについて
毎日、Beforeスキーイベントっていうのをやっていたの。
松下:小林さんって本当にこういう資料をいっぱい取ってあるよね。
小林:とっておくと老後に面白いと思って。
CB:笑
小林:若いときは、こういうことが日々勃発するから。
でも、そういうことが楽しかったし。
それでお世話になりたいです、ってキッズの社員になったの。
松下:そのころキッズってどんな会社だったの?
小林:俺もキッズってよく知らなかったんだけど、
俺が大学のときにミニFM局を始めていて、
これがマスコミの中ですごく話題になって
「遊びを創造する集団」みたいな感じで
メディアから注目されていたんだよね、当時ずっと。
で、当時は俺もすげーなぁ、すげーなぁって、
すごいところにきたなって夢が膨らんで
迷わずキッズしかないでしょということで入った。
それで俺もさ、すごく性格がいい加減だったから
自分でDJとか司会をやったりすることもあったのよね。
CB:今からはちょっと想像つかないですけどねー。
小林:(笑)
けどDJやっていながらも
「つまんねーなぁ」って思ってたよ。
今のDJと違って
「リクエストにお答えして浜田省吾さんの~」
とか言っていただけだから。
何がおもしろいねんって悶々とはしていた。
もちろんそれはディレクターとしてね。
で、結局、俺は番組制作能力はないし
音楽を選曲するセンスもないし、
ディレクターとしてはまだ無理だったんだよね。
クライアントからも企画としておもしろくないだとか
映像のクオリティが低いとかいろいろ言われて、
なんとかしなきゃいけないみたいな気持ちだけがあってね。
松下:ふーん、そんな時があったんだねー。
小林:そりゃ、あったよ。
で、悶々として1年目が終わるときに
俺達を仕切っていた人がキッズを辞めちゃったんだよね。
もう、俺らしかいないっていう状況になった。
そこで初めて代理店からの請負制作ってのを体験するわけ。
その仕事がイベントと呼べる初めての仕事だったのかな。
CB:どんなイベントだったんですか?
小林:もともとあった「竹下通りフェスティバル」っていう
町のお祭りの冠の下に
テレビ番組のイベント版みたいなものを
原宿でやりたいってことで2年間やったんです。
「竹下通りフェスティバル」ということもあって、
普通、一企業のイベントでは使えない
代々木公園の代々木音楽堂が使えるという構造もあって。
女子高生が500人くらいきて
東郷神社から番組のTシャツを着て
オリエンテーリングで通りでクイズに答えたりして、
代々木公園に行って公開録画を見るだとか。そんな感じの。
CB:でも、初めはイベントのつくり方なんて
全然わからなかったわけですよね?
小林:単純に淡々とつくるっていう感覚がなくて
ものすごい話題になるだとか、
驚かせるとかそういうことしか発想になかったよね。
そのころは、やることなすこと初めてなんで、
看板の発注だって分からないんだよ。
教えてくれる人もいないし。
発注側は当然できるだろうと思ってるんだけど、
俺は影で「どーやんの、これどーやんの?」って……。
いろいろ調べて(笑)。
CB:(笑)
その当時の失敗談とかってないんですか?
小林:そうねー…。小さいとこだと、
当時もうひとつやっていたのが、
俺がひとりでやっていたコンサートの仕事なんだけど、、
栃木県の温泉地で公園ができたから
こけら落としにコンサートをやりたいっていう仕事だったのね。
ま、予算は、町でいくらいくらあると。
それに、チケット収入とスポンサーを付けていいから
企画を成立させてくれと。
で、キッズは音楽系の会社だったので
コンサート運営自体のノウハウはあるわけですよ。
ただ町との窓口とかスポンサーの窓口だとかを
俺がやったのね。
それでその時に大手のコンビニエンスストアが付いたんだけど。
初めてだったんで
ロゴの比率を勝手に変えちゃったりして、
怒られてから、あ、駄目なんだって気づいたりとか(笑)。
とにかくその当時は、全く何もわからなかったから。
発想として、それをやっちゃいけないということが
まったくなかったんだよね。
CB:笑
小林:それから、その翌年にダンスパフォーマンスで、
宇宙服みたいな服を作ってみようという企画があって。
そういうのも偶然ある人に出会って
やっと成立したっていう感じ。
今だったらこういう人にこうやって頼むという
プロセスを自分で持っているんだけど、
そのときはなんか個性的な服を
作らなきゃいけないっていうのだけがあって、
「そんなの誰が作るんだ」「誰が作るの、誰が作るの」と。
そうしたら、ある人が
「ファッションショーでオリジナルのキャラクターの服とか
デザインする面白い人がいるよ」って言っていて
「その人だ!!」って(笑)。
その時は、他に選択肢がないんだもん。
で、その人にすべてを話してみると
その人も「~っていう映画のイメージなのかな?」
とかって言うんだけど、その映画も知らないし、
急いでビデオ屋へ行って借りて見るわけね。
で、あらためて会って、「それ、それ、それ」ってね。
CB:ずいぶん綱渡り的ですねー。
小林:当時は、とにかくできあがったことが
嬉しいってことの方が大きくて、
どちらかというと自分のためにやっていて、
イベントに参加する人を楽しませることなんて考えていなかったな。
キャスト側のことしか考えていなかったね。
松下:当時はそれでもやっていけたっていう部分はあるよね。
イベントってものが、それほど熟成していなかったし
制約も今よりは少なかったし。
小林:もともとその頃は、イベントっていうのが花形で
企業もお金を出したりしてくれて、
街頭のメディアも注目されていたんだよね。
屋外にサインがあるっていうだけじゃなくて、
色んなものにメディアの価値があるんじゃないかって
検討されだしていて、
街メディアに企業が金をだす実験的なこと、
つまりダイレクトマーケティングを
試していた時期なんだよね。
企業にはそんなにメリットはないんだけどね。
あのころ大学のミスコンでも企業がついていたり、
ダンスパーティとかに企業が
何百万もつぎ込んだりしていたからね。
松下:そういう意味では、いい時代だったのかもしれないねー。
(つづく)
投稿者 グリ : 2005年12月01日 12:54
