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2005年11月15日
第1回「イベント業界へ入ることになったきっかけ」
今回の来店者
小林さん(サバイランド)×松下(コムブリッジ)
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【新規お客さま、ご来店です】 |
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CB:ではまずは松下さん、
小林さんのことを紹介してください。
松下:おい、いきなりかよ。
前ふりとかはないの?
CB:ないです。
どんどんいきます。
松下:えーっと、
最初に会ったのは、俺が以前出向をしていた会社で
博報堂さんの仕事をしていた時なんだよね。
コンペで、あるPRイベントの企画を作りますということで
呼ばれて行ったら、他にも2社プロダクションが来ていて、
そこにキッズっていう小林さんのいたプロダクションもいたんだよ。
それで、同じような制作プロダクション同士だし、
「何でプロダクションを2社も入れてるんだよ」と、
その時はあまり深く話をしていなかった。
で、何年か経って俺がコムブリッジに入って何かの打ち合わせで
小林さんが来ていて「あれ、どこかで会いましたよね?」
という感じで再会して。
その時すでに小林さんは、サバイランドを立ち上げていたんだよね。
小林:会社をつくる時に、俺は構成演出の仕事を中心にやっていきたい
というメッセージを皆にだしていたのね。
で、構成演出をやってもらおうじゃないかってことで
お呼びがかかったんだよ。
それで、ある表彰式のパーティ演出をやったのが、
コムブリッジさんとの初めての仕事。
その時、事務所で打ち合わせをしていたら、
松下さんと再会したんですよね。
松下:「どこかで会いましたよね?」
「あ、あの時に……」みたいな感じで
その時、初めてちゃんと話をしたんだ。
CB:今は、ずいぶん仲がいいんですよね?
松下:仲いいよ。
で、もうちょっと俺と小林さんの話で行くと、
最初の仕事をしたそのちょっとあとに、
JRのサービスシンポジウムっていう
仕事をやってくれないか?ってオーダーを受けて、
その仕事は、映像を作ったり舞台進行ってのもあるから、
誰かに手伝ってもらわないといけねーなってなった。
それで、小林さんに相談してみようってことになったんだ。
それが97年で、それからずーっと毎年やるようになって、
7年連続でずーっとサービスシンポジウムと
4年前くらいからキヨスクサービスフォーラムもやりはじめて、
JRのサービス関係の仕事をした。
その仕事は半年ぐらいそれを中心に
スケジュール調整をしなきゃいけない結構きつい仕事で、
他の仕事をお願いしたくてもできない、
みたいな感じで、結局小林さんとちゃんと仕事をしているのは、
サービスシンポジウムとキヨスクのサービスフォーラムだけ。
映像を作って舞台進行を作ってという感じ。
小林:ま、長いですよね。
松下:確かに。
7年もやっているとお客さん側よりもキャリアがあって
「昔はどうやってましたか?」って聞かれるようになっているんだ。
俺らが一番長くやっていて、
外れるに外れられないみたいな感じでずーっと来ている。
その仕事の中で「小林さんはこういう仕事をするんだ」って
感じながら俺は、一番信頼している。
CB:師匠みたいなもんですか?
松下:師匠でもありライバルでもある。
小林:ははは……。
松下:俺がサボって手を抜こうとすると
プレッシャーをかけてくるんだよね。
小林さんの仕事振りを見ていると
サボっちゃいけないって目が覚める。
俺からすると小林さんはそういう相手。
結構俺って小手先でこなしちゃおうって
考えることがあるんだけど、
そんな時に「こんなんでいいんですか?」って言ってくれる
非常に貴重でありがたい相手です。
CB:小林さんがイベント業界に入るきっかけって
何だったんですか?
小林:俺の父親は、普通のサラリーマンだったのよ。
ニュータウンの中流階級で育って
周りの家は社長もいなければ貧乏人もいない
そういう画一的な環境で育ったから、
色んな世代とか仕事の違う人との付き合いはなかった。
CB:ご出身はどちらなんですか?
小林:兵庫県の川西市。
それで、高三の受験の直前に
関東に横浜市大っていうのを見つけて、
関東に行こうって決めた。
要するに自分の中で自然発生的に、
ニュータウン環境から、一旦自分が完全に抜けたい、
親元から出て行きたいっていう気持ちで、東京に行こうって。
漠然と海外を飛び回る仕事、
商社マン的な仕事をするイメージで……、
成田に少し近づいたっていう感覚で
関東に来て大学生活が始まったんです。
松下:それは、初めて聞いたなぁ。
小林:その頃に、漠然と今につながることなんだけど、
TVで「CMをつくる」というような番組を見て、
広告・CMっていうのは、
こうやって作るんだって知ったんだ。
昔は、ほとんどそういう映像はなかったんだけど、
その番組を見て、
モノを作る、モノを表現する仕事が面白そうだなって
意識の中に植えつけられたんだろうね。
それから、お菓子をみても
「なんでこのお菓子はこういう形をしているのだろう」
「どうしてこんな箱なんだろう」
「商品はどうやって生まれるんだろう」と興味を持ったんだ。
で、商品開発だとかモノを作り出す仕事っていうのに
漠然とした憧れがずっとあったのね。
もうひとつは、ウチのオヤジが仕事が嫌いで
働かない人だったんですよ。
仕事に生きがいを見いだせなくて
ニュータウンに引っ越してからは、
庭いじりのほうが趣味みたいな人でね。
そーゆーのが、男としてかっこ悪いなって思ってて、
人生の大半、収入を得るために人は働かないといけない、
だったら嫌でやる仕事にしたくないなって思って、
仕事に生きがいを見出せる人間になるぞ!っていうのを
若いときから決めていたんですよ。
松下:いつ頃から?
小林:高校の頃から。
夢中で俺は仕事をやる!って思ってたのね。
ま、そのくらいの気持ちで大学生になって。
最初は、俺、水商売とかが好きでね。
夜の世界とかって興味あるじゃないですか。
どんどん飲食系のアルバイトをやったりして、
人前で歌うカラオケパブとかが流行っていたりもして、
そういうとこで偶然働けることになって、
人を楽しませるという快感も覚えたんだよね。
松下:で、キッズに?
小林:ま、そういう体験が大学のときにあって。
それからもうひとつ大きかったのは、
当時の大学生はとにかく
スキーとテニスみたいな感じで、
スキーツアーっていうのがすごく盛んで、
学生が学生を集めてものすごい団体で
志賀高原とか栂池とかに行ってったんだよね。
そこで学生が企画したパーティを開いてゲームをしたり
イベントプログラムがあったりして。
で、高2から高3に上がるときの春休みで
1回お客で行った時に、
こういうことをやる大学生になりたいなって思ったんだ。
松下:あの頃、スキーのバスツアーとかすごかったからね。
小林:それで、大学2年になった時に、
細々と活動をしている企画系のサークルをみつけて、
「先輩もいないし、ここだったら乗っ取れるかな」
みたいな感じでそのサークルに入ったんですよ。
そこはミニコミ誌を唯一横浜市大の中で出しているところで
そこで、企画系のイベントをしている先輩と
接点ができたんだよね。
また当時は、
大学生ってすごく需要があってね。
世間では、「女子大生パブ」ってのがあったり、
「オールナイトフジ」とかが一気に出て
「オールナイターズ」とかが大人気の時だから。
大学生であることで、企業が金を出してくれたりだとか
そういう時代だった。
それで神奈川大学と横浜市大と横浜国大と
関東学院大とフェリスとか他と
横浜リーグ見たいのをつくって、
それに横浜の百貨店がお金を出してくれて
「ミスハマギャルコンテスト」っていうミスコンを
お店の前でやったりしたんですよ。
で、そんなことしているあいだに
他の大学との知り合いができて、その中に
今キッズの社長をやっている人間がいて、
彼が立ち上げていたスキーツアーの企画に
のめりこんでいったのね。
<おもむろに資料を取りだす小林さん>
小林:これが、最初に言っていたミニコミ誌。
松下:え、これ小林さんだよね?
CB:わーこれ、すごい。こまかい!
小林:……こまかいか?
CB:こまかい、こまかい!
小林:あの当時スキーツアーは、
夜、バスに乗っていっていたんだよね。
後楽園のけやき広場にバスが500台とかずらっと集まって
かなり媒体価値があったのね。
シーズンで50万人とか行くわけだから。
その出発前に楽しい空間が作れないかなって
そこの社長は考えたのね。
で、小林やらないか?って言われて
1日半くらい悩んで決めて、
大学4年から原宿で働き始めたんですよ。
大学4年は、週6で働いていて、
そのままキッズっていう団体に入ったんです。
*********
……というわけで。
お待たせいたしました。
居酒屋対談第2弾「サバイランド小林さん篇」、始めます。
投稿者 グリ : 2005年11月15日 16:46
