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2005年01月14日
第2回 誰もやったことのないことが好き、であるということ。
今回の来店者
小關さん(ダイス)×金田さん(コプロシステム)×三代川(コムブリッジ)
【前回までのあらすじ】 「全然仕事何にもないんだけど、 面白いやつが集まって会社つくるか――」 なんだかふわふわした動機で、 1981年に誕生した コムブリッジの前身シープスアイズ。 当時は、いろんな人が出入りするものの、 お金の稼げない会社だったと三代川は振り返ります。 しかし、そんなシープスアイズも 編集・イベント制作が仕事になり、 少しずつお金の稼げる会社になっていったそうです。 そして、イベント制作を通じて知り合った、 とある人をきっかけに、 小關さんと三代川が出会うことになるのでした……。 |
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CB なるほど。
でもそのころ、小關さんたちは
まだ(シープスアイズ)に入社してなかったんですよね?
三代川 うん、そうだね。
でも、そのころに僕の方でアサツーの高山さんという人と
イベントで知り合うんだけど、彼をきっかけにして小關さんとも
出会うことになるんだ。
実は、小關さんと俺がまだ知り合う前、
高山さんが仲間を連れて会社を辞めて
大挙してサンコミュニケーションズという
プロダクションに入ったことがあったのね。
それで、ちょうど俺もイベントをやり始めた頃で、
そこに平山(現:エンターテイメントボウル)だとか
最近あまり一緒にやってないけど針谷(現:キュー)だとかが
サンコミュニケーションズにいて、
で、そのパートナー的なプロダクションに
シープスアイズがなっていて
そこでいつも仕事をしていたんだよ。
で、高山さんが色々と考えてやっていく中で
イベントだけじゃなく、ゲームソフトの会社を作りたい
という話があって、そこで小關さんが登場するんだよ。
小關 うん、何気にね、高山さんがきっかけなんだよね。
三代川 ね。
小關 でもそうやってゲームの方へいくのはもっとあとからなんだよ。
(高山さんがやろうとしたことは)それまでも
いろんな話があったからさ。
CB ちなみに小關さんは、どういういきさつで
ゲーム業界に入っていったのですか?

小關 昭彦さん (ダイス・代表取締役)
小關 うーん……。
もともと僕は、絵を描いていたんですよ。
CB え、画家さんですか?
小關 うん、画家だったの。
三代川 多摩美の……。
小關 うん、多摩美の大学院に行きながら絵を描いていた。
働く気もなかったし。
「絵とか描いて、ぶらぶら生きていけたらいいな~」
なんて思ってた。
CB 油絵とか、ですか?
小關 油絵科だったんだけど、油絵科だと思われたことは、
1回もない。油絵は好きじゃなかったんだよね。
三代川 彼は、でも、最初のパルコの、
日本グラフィック展の大賞を取ったんだよ。
CB ええ!!?(驚愕)
金田 こう見えても。
小關 あ、俺は最初じゃなくて2回目、第2回のとき。
三代川 あれ、日比野(日比野克彦氏)は?
小關 日比野が第3回。
CB おおー!
で、ふらふらしていて
シープスアイズにぽんと入ったのですか?
三代川 いやいや、今のは彼の学生時代の話だから……。
小關 うん。で、大学院を卒業したときに、
絵の才能は前からないとは思っていたのだけれど、
やっぱりないな!と改めて思ったんですよ。
CB (笑)
小關 前からなさそうだな、とは思っていたんだけど、
でも、いわゆる企画モノの絵を描くのはうまかったんですよね。
三代川 賞を獲れる絵を描くのがうまかった。
小關 そうそうそう、あざとい目標をもって
何かをするのが好きだったりしたんですよ。
三代川 こういう風にほめられると思って、
絶対にそういう風にほめられる絵を描ける人だったのよ(笑)。
金田 そりゃー すごいな。それは、才能だよ(笑)。
それで食っていけるじゃん。
小關 いやー、でもそういう方法論を見出したんですよ、1回。
で、一応、案の定、賞を取ったんですけど、
教授に「それを5年続けろ」と言われたんですよ、同じやり方を。
「お前、5年続けたら絶対に食っていける」って。
でも5年も同じこと続けるのはいやだな~って思ってさ(笑)
もうちょっと色んなことをやりたいなと思って……。
で、もともとあざとい考え方が根底にあるんだよね。
要は絵を描かないんだよ、ほとんど。
絵を描くよりも「どんな絵を描こう」と思うメモや
スケッチのほうが溜まっていくんですよ。
なかなか完成しないんだよね。
だから、もしかしたらそういうほうが
向いているのではないか?ってずっと思っていたのね。
絵は下手だしさ。
三代川 それでサイトウマコトさんとこに行ったの?
小關 いや実はそこに行くまえに、
基本だけは覚えようと思って、
名もないデザイン会社に入ったんだよね。
三代川 え?そうなんだぁ。初めて知った。
小關 そう、プロデューサーとかプランナーになりたいな、
とは思っていたのだけれど、
サイトウマコトさんのところに行って
いきなり下積みってのは俺の性に合わないなと思ってさ。
三代川 サイトウマコトさんって知ってる?
アートディレクターの。
当時は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったよね。
小關 ちょうど僕が賞を取った時の応募ポスターを
サイトウさんたちが作っていたんですよ。
その関係で、パルコの人から
「『(小關さんのことを)面白い絵を描く奴だ』とか
言っていたわよ」ってのを聞いて……。
それで(サイトウさんのところに行く前に)
名もないデザイン会社で、
年下の女の子とかに飯おごったりしながら、
色々教えてもらって……。
で、半年くらいで「もう、分かった!俺は、もうできる!」と思って、
サイトウマコトさんのところへ行ったんですよ。
「ま、俺は天才だし。天才同士頑張ろうぜ」みたいなノリで。
全員 (大爆笑)
小關 でも所詮、デザイナーとかになりたかった訳ではないので、
ネタが1年くらいで割れて。
「実は、僕はそういうことはやる気はなくて」と言ったら
「やっぱりそうか」と……。
で、だったらそういうプランニングとか代理店を
紹介してやろうと言ってもらい、
電通さんとかいろいろ何社か面接したんだけど、
「なんかそういうのもちょっとちがうな」と
思ってぶらぶらしてたんですよ。
そうしたら、
とあるプロデューサーという人が、
「クリエイティブの会社を作るために、
色んなところから面白い奴を集めたから来い」と。
で、行ったら、うちのサイトウ(現:ダイス)とそこで出会った。
今でもそこにいた人は、
それぞれの世界で相当活躍をしてるんですよ。
サイトウも、スーパーオタク天才みたいな人で、
宮崎さんのところで中学の頃から
アニメを作っていたみたいなんですけど。
CB えー!!
小關 でも、俺は、アニメとかはちょっとかっこ悪いから
どうかな?って思っていたわけ。
俺は、パルコとかでデザインとかやっていたし~
とか思っていたんだよね。
でもそこで初めて『未来少年コナン』とかを
うず高く積みながら一日中見ちゃう奴等に会ってさ。
全巻を何日かで全部見倒しちゃうとかね。
で、なんかここは異様な凄さがあるなと、
オタクの世界だなって。
当時『オタク』というのが、
はっきりと言葉としてなかったんだけど、
「こいつらはちょっと変だな」と思ったんだよね。
俺が今まで出会ってきたアーティストより変だ。
と思って興味を持ちだしてきたのが、
ゲーム業界に入っていくきっかけ……。
だからって当時も僕はゲームの仕事を
一生懸命やってたというわけじゃなくて。
ラフォーレの広告を作ったりしていて、
それと平行でゲームを作ったりアニメを作ったりしていた。
そう、当時「ぞうのババール」を
アニメーション化しようなんて話があったんですよ。
で、どうせやるなら前代未聞の画期的な方法でやろうとか言って、
全部セル画でなく、版画でやろうぜ!
なんてわけの分からないことを言って。
結局予算が合わなくて、
駄目になっちゃったりした、みたいなね。
三代川 え、版画でアニメーションをつくろうとしたの?
小關 そうそう。
そこまでやれば、世界中で有名になるだろうと。
でも、そーゆうのが好きなんですよ。
誰もやったことがないとかね。
あとは、当時、ギンザコマツのポスターをやってね。
またそれも「今までにないものを作ろう」とか言って
ダンボールをいっぱい重ねて、
こんなに分厚いポスターを作ったりしてさ。
でも貼ってもらいましたよ、ちゃんと。銀座の駅とかに。
こうね、でこぼこしてんの。
なんてしているうちに、若気の至りで喧嘩をして、
「やってらんねーよ、こんなところで」と。
「ま、俺達は才能があるんだから
どっか飛び出して他で仕事しようよ」って、
サイトウに声をかけたんだよね。
「俺は辞めるけど一緒に行くか?」って。
それで「俺も一緒に辞める」って言ってくれて。
そしてそのときに、
さっき三代川さんが言っていた高山さんっていう人が
「うちにきてもいいよ」って言うので、
「じゃー行ってやるか」みたいなかんじで行ったんだよね。
金田 行ってやるか……(笑)。
三代川 でも、高山さんだって、そのころは34、5歳で
今のみんなとさほど変わりはなかったんだよなぁ。
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ずいぶん破天荒な人生を歩んできた小關さん。
しかし高山さんと知り合ったことにより、
のちに、三代川と出会うことになっていくのでした。
さて、そのお話は、また来週火曜日ころに……。
(つづく)
投稿者 グリ : 2005年01月14日 02:50
